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内閣より 在台湾文武諸官員外征従軍者として取扱の件(ないかくより ざいたいわんもんぶしょかんいん がいせいじゅうぐんしゃとしてとりあつかいのけん)は、日本の台湾領有〔台湾島は、日清戦争の講和条約である下関条約(1895年4月17日)によって、清国から日本へ正式に割譲された。〕直後の1895年(明治28年)7月10日に、当時の樺山資紀台湾総督より日本政府へ提出された「台湾ではまだ残留清兵との戦闘が続いているので、残留清兵が平定されるまで台湾勤務の文武諸官員を外征従軍者として扱ってほしい」という稟申〔(ひんしん。りんしん)上役に申し上げる。同義語に稟白(ひんぱく)。〕を、当時の伊藤博文内閣が「すべて日清戦争に伴うものの結果であり、特に反対する理由が無い」として閣議決定したことを報告した文書である。 同文書は、内閣書記官長であった伊東巳代治により、大本営陸軍参謀の児玉源太郎に1895年(明治28年)8月17日付けで報告された。(陸軍省大日記、日清戦役、明治28年9月「27 8年戦役日記 甲」収蔵) == 原文(現代語訳) == 文書は「表紙」、「閣議決定」、「樺山資紀台湾総督の稟申」の3つで構成されている〔「27 8年戦役日記 甲」〕。 ;■表紙 :(別紙の通り、閣議決定となりましたので、そのことをお知らせいたします) ;■閣議決定 :(別紙 台湾事務局総裁 具申 台湾島に勤める文武諸官員を、台湾が平定されるまで外征従軍者として取り扱うという件を審査しましたが、日本と清国の間の平和は既に回復し、台湾島の受け渡しも完了した今日においては、台湾島は、言うまでもなく既に日本帝国の領土に属しているとは言えども、条約批准交換後2年間はその土地の住民は、まだ純然たる日本帝国の臣民とは言えないだけでなく、数多くの清国の残兵が取り除く必要のある土地に立てこもり、土地の住民と合流して頑固な敵となって抵抗しており、状況はまるで一敵国のようで、今後なお多くの戦闘が起こることを免れる事はできません。そして、これは全て日清戦争に伴うものの結果なので事実上では〔すでに1985年4月17日の下関条約と同年6月2日の台湾授受により、「法制度上では」台湾は日本国内になっている〕これを外征と仮定し、その従軍者を外征従軍者として扱うが、敢えて不都合だとする理由も無いので、之に付いて具申の通り、閣議決定すべきだと認めます) ;■樺山資紀台湾総督の稟申 :(別紙 台湾総督の稟申 台湾島に勤める文武諸官員は事が平定されるまで外征従軍者として取り扱うという件は、稟申の通りにするべきだと局議で決定したので、そのことをご報告します) :(日清両国の間には既に平和が回復し、台湾の授受は完了したとは言えども、台湾島の状態はまるで一敵国のようで、清国の将兵は淡水〔(たんすい)。現・台湾台北縣淡水鎮。〕、三貂湾〔(さんちゃおわん)。現・台湾台北縣貢寮鄉三貂角。台灣行政院農委會林務局 国家歩道系統>淡蘭-東北角海岸国家歩道系統>三貂嶺旧道 。および台湾トラベルマップ>三貂嶺古道 「『三貂嶺』は雪山山脈の北段で、1626年5月,スペイン人が台湾東北角近海を航海時に多くの怪石と海蝕平台のある沿岸を見つけ、その地形が聖城サンディアゴに似ていたことから『St.Diago』と名づけ、その後現地の人々が『三貂角』(サン ディアオ ジャオ)と呼ぶようになり、現在では『三貂嶺』(サン ディアオ リン)と命名されたといいます。」〕で日本兵を射撃し、金咬蒋〔(きんこうしょう)。現・台湾台北縣瑞芳镇。〕、基隆〔(きーるー。きいるん)。現・台湾基隆市。旧名は鶏籠(読みは同じ)。〕などで頑強に抵抗しました。台湾南部の安平〔(あんぺい。あんべい)。現・台湾台南市安平區。〕や打狗〔(だぐ)。現・台湾高雄市。打狗港。〕などではしばしば日本の軍艦を砲撃し、また、新竹〔(しんちく)。現・台湾新竹市。〕以南はまだ多くの残留清兵で満ちているため、今後多くの戦闘が起こることを免れません。そのため名義上から言えば台湾はすでに日本の新領土だとは言えども、実際の状況は外征における状況と変わらないので、そのため台湾に勤める文武諸官員は、台湾が平定されるまで、すべて外征従軍者として諸般の取扱いをしていただけますよう申し上げます) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内閣より 在台湾文武諸官員外征従軍者として取扱の件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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